先輩農家の体験記

Interview


因幡成弘

■所在地:秋田県 大館市
■栽培品目/栽培面積:山の芋 / 1.2 ha 、 さつまいも / 20 a 、 アスパラ / 4 a 、 ししとう / 1 a
■売上金額年間約 500 万円
■販路:JA
■家族構成:妻、子ども1 人
■就農時の年齢:36歳
■利用した補助事業:新時代を勝ち抜く!農業夢プラン応援事業/青年等就農資金


ゼネコン勤務から農家へ。山の芋認知度アップに奮闘

東京から「Aターン」で故郷の秋田へ

因幡さんは現在40歳。秋田県大館市出身です。大学卒業後、学生時代からの夢をかなえ、ゼネコンに就職。大規模施設やマンションの施工管理の仕事をしながら、9年間東京で生活しました。キャリアを重ねる一方で、これからの人生を考えたときに、地元に戻って働きたいという思いが強くなりました。秋田県は、「ALL(出身を問わず、全ての人が)」と「AKITA(秋田へ)」という意味の「A」を掛け合わせた「Aターン」を推奨しています。因幡さんは31歳の時、会社員を辞めて大館に戻り、山の芋と水稲の生産を行う叔父を手伝い始めました。季節は秋、山の芋の収穫シーズンで、土の中からゴロゴロ出てくる芋を見て、成果が目で見える農業を「面白い!」と感じたと言います。その後も農業に携り、4年ほど経ったときに叔父が他界。因幡さんは畑を引き継ぎ、独立することになりました。独立を機に思ったのは、10年先、20年先も続けていける作物を作りたいということ。何を作るかは、JAに相談して決めました。山の芋はほかの芋類に比べ、粘りが強く栄養豊富、価格も高いのが特徴です。大館は全国トップクラスの山の芋産地です。そのブランド力が決め手となり、山の芋生産を継続することにしました。

独立、新規就農者として受けた支援

独立するにあたり、大館市に相談して認定新規就農者の認定を受けた後、県の補助事業「新時代を勝ち抜く!農業夢プラン応援事業」を活用しました。農機具の購入資金を半額程度に抑えられ、県内では数人しか所有していない芋収穫機も購入しています。認定新規就農者として、日本政策金融公庫の「青年等就農資金」から無利子で融資を受けることもできました。現在は、1.2haの山の芋畑をほぼ1人で管理しているほか、アスパラ、ししとうなどの収穫時期の異なる野菜も育てています。叔父から引き継いだ田んぼは父に委託することで、年間を通して収入のある時期が長くなる工夫をしています。山の芋栽培は機械でできる作業が少なく、手間がかかります。排水が良くなる工夫をしたり、マルチフィルムなどの農業資材を活用したり、試行錯誤を重ねています。大館の山の芋農家の中でも、1人で畑を切り盛りしているのは因幡さんだけです。自然相手に対策を練るのも1人では大変そうですが、山の芋部会に所属する経験豊富な先輩に教えてもらいながら、栽培に励んでいます。また、因幡さんは2021年から、新たにさつまいもの生産も始めました。因幡さん自身さつまいもの栽培が初めてで、近隣にもさつまいもを栽培している農家が少ないので、わからないことだらけでしたが、JAで相談に乗ってもらうことができました。全国に広がるネットワークを活用し、生産が盛んな地域の技術を共有できるため、的確なアドバイスがもらえたそうです。作物の出荷先も、ほとんどがJAです。異業種からの転職でも心強い環境で、様々な挑戦をすることができます。

仲間と一緒に山の芋を盛り上げたい

山の芋は強い粘りを生かし、お好み焼きや高級和菓子に使われており、現在大館で生産された山の芋の9割以上は、関西へ出荷されています。一方、秋田県内での消費や認知度は、それほど高くありません。大館市では、30年前の生産ピーク時に300軒以上の農家が作っていた山の芋ですが、現在では、特に若い世代にはなじみのない食材になってしまいました。因幡さんはJAあきた北の山の芋部会長を務めています。大館に30軒ある山の芋生産者たちと協力し、直売所や種苗交換会で販売したり、地域のイベントに出店したりして、直接消費者に山の芋の美味しさを伝え、秋田県内での認知度を上げる活動も行っています。団子状にした山の芋を入れた鍋の試食会では、「おいしい!」という声をたくさん聞くことができました。因幡さんは山の芋を生産するだけでなく、仲間とのきずなを深めて秋田の農業を盛り上げ、消費者に笑顔を届けるために頑張っています。

農業は自分の頑張りが目に見えてそれが利益になる

「世話をした分、返ってくるものも大きいのが農業の魅力」と因幡さんは話します。「自然を相手にしているので、自分ではどうにもできないことはあります。苦労の量は変わらないのに、収穫量や価格が下がると、がっくり来るのが本音です。」山の芋は、ただでさえ手間のかかる作物。全ての工程を1人でこなし、手塩にかけて作物を育てている因幡さんだからこそ、悔しさもひとしおです。そんなときは、どこにもぶつけられない気持ちを1人で受け止めています。しかし、「収穫の時に感じる『こんなに獲れた!』という達成感は、何ものにも代えがたいです」と話します。自分の頑張りが目に見える形になり、それが利益になるという純粋な喜びは、会社員時代には得られなかった感覚。「東京での生活と比べ、ストレスを感じることが激減しました」と因幡さんは朗らかに笑います。東京にいた時は、近所の人と挨拶を交わすことすらありませんでしたが、大館に戻って来てからは、お互いの畑の様子を聞いたり、野菜のおすそ分けをし合ったり、あたたかい交流が自然に始まったそうです。

県内でも県外でも愛される山の芋を作りたい

自然に囲まれ、人とつながり、地元の特産品で地域を盛り上げている因幡さん。今は1人ですが、いずれは従業員を雇用し、生産規模を大きくしていきたいという想いがあります。さつまいも畑ももっと大きくしたいと考えていますが、思い入れがあるのは、やはり山の芋。秋田での認知度を上げ、愛される野菜にしたい。県外でも、秋田の山の芋が喜ばれるようにしたい。その想いを胸に、品質のよい作物をたくさん生産できるよう、因幡さんは日々奮闘しています。